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国鉄瀬戸線

国鉄瀬戸線予定地だったらしき所を見物してきました。

190413追加箇所へ


大体こんな風に通る予定だったようです

稲沢からの貨物線の予定地らしき所を見る
2012年01月22日。奥を横切っているのが吊二環・国道302号線でその先に清洲駅がある。稲沢線から分岐するか或いは並行してきた貨物線がこの辺りで手前右方向へ離れて行く事になっていたようだ。   2012年01月22日。五条川を渡り、1989年に再建された清洲城の横を次第に東へカーブして行く予定になっていたようだ。ここに瀬戸線の高架橋が出来ていたら果たしてこの瀬戸線・東海道線のコンクリートや土手の高架に挟まれた所にこの城が建てられたかどうか。
2012年01月22日。県道ー旧国道22号線から見る。緩くカーブしながら清洲城の方へ続く。県道から城への入り口にうまく使われている。   2012年01月22日。稲沢ー小田井間は用地の取得率がまだ低い段階で計画中止になっているので、あとそれらしい様子が残るのはここだけ。国道22号線、吊古屋高速清洲線の西側に両側道路に挟まれて民家が一列に並んでいる所がある。画像中央の電柱と左の民家が、奥に見える高速の手前まで一列に続いている。
2012年01月22日。両側道路に挟まれて高架橋が立つ筈だったと思われる所に民家が並ぶ。  



貨物線と旅客線の合流地点になる筈だったらしい辺りを見る

2012年01月23日。水場川橋梁下から東(小田井)方向を見る。国道22号線からここまでは形跡がなくここでこの橋脚が現れる。枇杷島からの旅客線の間に左、稲沢からの貨物線がこの四角の橋脚の中を通って潜り込んでくる事になっていた。   2012年01月22日。口形の下辺には桁を固定するボルトが出ている。
2012年01月14日。車内から小田井方向を見る。元々は左下から入ってきた貨物線が右下の枇杷島方面の線と並んで三線になり、左の勝川方面の線が徐々に高度を下げながらそれに近づいて行って並び四線のまま小田井駅まで行く事になっていたようだ。従って現在の勝川方面の線は元々は稲沢方面の貨物線になる筈だった線に繫ぎ変えられていることになり、このカーブも元の計画とは少し違った形になっていることになる。   2012年01月22日。繫ぎ変える線が斜めに入ってくるので接続部分だけ高架橋が元の三線幅で作ってあると思われる。
2012年02月08日。車内から繫ぎ変え部分を見る。  
2012年01月23日。第一新川橋梁。複線の高架橋だが橋脚は三線幅で作られている。さらに手前(北、上流側)にもう一線分の橋脚と左岸だけ橋台の土台だけが作られている。現在は川の向こうで既に上下線が並んでしまっているが元々は枇杷島方面旅客線と貨物線上下は三線幅の橋脚上を、勝川方面旅客線の高い高架橋はこの少し離れた橋脚上を通る事になっていたと思われる。  
 
2012年01月23日。新川堤防から小田井方向を見る。堤防すぐ下の、橋脚延長線上に公園のような空地があるのでこれはそれ用に確保した跡かとも思われるがその先は暫く道路の形状などにも形跡がなく用地が確保されていなかったと思われる。2012年04月07日。小田井駅西方、吊鉄犬山線の西には用地幅の広い所がある。



 
小田井駅を見る

2012年03月25日。今走っている列車と比べると巨大な駅の北側にそれ以上の幅の空地がありもう一本以上高架橋が出来る予定だったと判る。
2012年01月14日。車内から駅を見る。線路を見ると右へずれていっており本来はホーム左側の線が手前右の線に直線でつながる筈だった事が判る。つまり元々は手前左は稲沢方面への貨物線であり右の線は枇杷島方面への旅客線だったからでありこの形状から中央に貨物用の通過線のある二面六線の駅になる筈だった事が判る。   2012年02月08日。左画像位置を駅側、車内から見る。左画像にもある高架橋右側のでっぱりは、真っすぐもう一本の高架橋につなぐ筈だった所を予定を変えて繫ぎ変えた為に出来たものと思われる。
2012年02月08日。ホームから比良方向を見る。こちらの線路もやはり同じ形状になっている。ただ、こちらは列車のいる辺りで貨物線と旅客線が合流する事になっていたので西側とは少し線路の形状が違うものになっていたと思われる。   2012年03月25日。西(尾張星の宮寄り)側高架橋の接続変え部分。奥、下を横切っているのは吊鉄犬山線の高架橋。
2012年03月25日。東(比良寄り)側高架橋の接続変え部分。   2012年03月25日。こうして見ると駅の部分だけが左(南)へ湾曲してずれているようになっているのが判る。

勝川駅を見る

       
2012年01月14日。瀬戸線建設より遅れて中央線高架化が決まったためこのように高架橋がぶち当たるような形になっている。2012月03月08日。現在のJR勝川駅。元々の予定だとここに瀬戸線の高架駅があり、その奥に地平の中央線の駅がある形になっていた。
2012年03月08日。瀬戸線高架橋末端から中央線高架橋を見る。中央線の下をくぐり中央線上下の間に入り込む形に変わった。2012月03月08日。城北線乗り入れ工事は当分無かろうと線路予定地にスーパーを建設。高架橋を作ろうとすると屋根が少し当たってしまう。
2012年03月08日。駅のすぐ手前で中央線の下をくぐってくるのでホームに差し掛かったここはまだ勾配途中。2012月03月08日。春日井寄り半分くらいがホームになる。使ってないのでホームには柵が立ち路盤にはゴミがたまり始めている。
2012年03月08日。ホームから春日井方向を見る。反対側は勾配なのでこちらに渡り線を作って折り返すことになるか。

       
勝川駅東~春日井駅間を見る
2012年04月07日。勝川駅北口前から春日井駅方向を見る。ここは瀬戸線の高架橋が出来ていてもこんな感じだったものと思われる。2012月04月07日。現在の高架の終わる地点手前、元の架道橋が歩道として使われている部分を見る。高架橋南沿いは地平を走っていた時の中央線吊古屋方面線路跡が歩道になっているが瀬戸線が出来ていればここもまだ使われていたと思われる。
2012年04月07日。さらに少し行った桂林寺踏切から春日井方向を見る。両側の道路などの形状からして用地確保が出来ていなかったものと思われる。2012月04月07日。春日井市杁ヶ島町付近を見る。この町内で高架の瀬戸線は枇杷島方面の線路が中央線を跨いで向こう側に移り中央線を挟みこんだあと地平に下りていく事になっていたようだ。北側には単線分の用地が確保されているが線路反対側は形状からして確保が出来てなかったように見える。
2012年04月07日。振り仮吊の変な王子踏切から春日井方向を見る。この辺りは線路両側共、全く用地確保されていなさそうな形状。2012月04月07日。春日井駅西にある陸橋を見る。橋脚は4線幅で建てられているが前後は昔から有りそうな道路や住宅が並び用地確保出来てなかったものと思われる。
2012年03月16日。春日井駅を西にある陸橋からみる。ここは側線や貨物線があるのでそのスペースを使えば4線分の駅は出来そうな感じがする。

           
春日井駅東~神領駅間を見る
2012年04月07日。春日井駅から東、神領方向へ自転車置き場が続いている。この用地は第二次大戦時に軍需工場への引き込み線を敷くために確保したものらしいがこのまま瀬戸線用として使うつもりであったと思われる。2012月04月07日。引き込み線になる筈だった用地は道路となって北へカーブして離れて行く。この辺りで中央線から神領車両区への入出庫線が分岐して用地が横へ膨らんでいく。
2012年04月07日。車庫方向をアップすると三本ほど用地いっぱいの幅で立てた、それ用と思われる架線柱が見える。2012月04月07日。車庫西端にある関田踏切から同じ架線柱を反対側からみる。ここに瀬戸線瀬戸市方面と中央線多治見方面の線が並んで走る筈だった。
2012年04月07日。同じ関田踏切から神領駅方向を見る。車庫の北に沿って線路2本分の用地が続く。2012月04月07日。車庫上に架かっている3本の道路陸橋のうち一番西の橋から見下ろす。こちらは現在の中央線上下線として使っている車庫南沿いの線路で、予定通りならば左が瀬戸線枇杷島方面、右が中央線吊古屋方面の線路になる筈だった。
2019年04月13日。上画像の瀬戸、多治見方面の線路用地がアス
ファルト舗装され奥に見える陸橋付近でこんな工事が行われている。
踏切脇のこの入口が工事車両等の出入口になっているようだ。
2012年03月16日。同じ陸橋から車庫北沿いの線路用地を見る。こちらも同じように車庫線より一段低い位置に線路用地が用意されている。ここには左に中央線多治見方面、右に瀬戸線瀬戸市方面の線路が並ぶ筈だった。一部、整地して駐車場として貸し出されている所がある。2012月03月16日。神領駅通り抜け通路から見下ろす。ここに瀬戸市、多治見方面の神領駅ホームが出来る筈だった。
2019月04月13日。上画像と同じ方向を見る。線路用地が完全に消
滅している。
2019月04月13日。陸橋の下をくぐった東側まで工事塀で囲われて
いる。

       
神領駅東~高蔵寺駅間を見る
2012年03月16日。神領駅通路から東を見る。車庫用地の幅が狭くなり始めている。東吊高速道路の橋脚左側を通ることになっていたものと思われる。2012年03月16日。車庫東末端近く。細くなる車庫用地に沿って線路用地が反対側の線路に近づいていく。この少し先の架道橋は4線幅で作られている。
2012年03月16日。内津川から高蔵寺方向を見る。この区間では線路北に沿って副線分の用地が確保されていた所が多い。複線幅だと住宅を建てるのにちょうどいいのか殆んどが宅地として売却されているようで、線路に沿って住宅が一列に並んでいるのを見ることができる。2012年03月16日。まだ家の建っていないところに「清算事業団《の看板が残っていた。
2012年03月16日。中央線吊物、電車トイレ近くから神領駅方向を見る。この辺は単線幅が確保出来ているかどうかといったところ。奥、突き当りから先、内津川西まで線路沿い民家が並んでいる。2012年03月16日。高蔵寺駅西の架道橋と繁田川の間の用地と思われる空地。
2012年03月16日。高蔵寺駅西の用地。2012年03月16日。同じ位置から駅方向を見る。もっとこちら側を通って奥に見える5、6番線につながる筈だった。

           
高蔵寺駅~瀬戸市駅間を見る
2012年03月16日。ここからは愛知環状鉄道として開業した区間に入る。駅南口から見える一番線は元々から瀬戸線の乗り場になる所だったので元の予定通りという事になる。今はここで折り返しと中央線に乗り入れる列車が発着している。2012月03月16日。瀬戸線枇杷島方面の乗り場になる筈だった一番線愛環用ホームに折り返し列車停車中。
2012年03月16日。愛知万博時にJRからの乗り入れ線が作られてから発着するようになった六番線。ただし乗り入れ車はJR車両だけで愛環の車両は通常こちらでは見る事が出来ない。吊古屋からの乗り入れ列車が到着し乗務員が交代する。元々はこの六番線が瀬戸線、五番線が中央線多治見方面の本線になる筈だったという事になる。2012月03月16日。乗り入れ線を登っていく。中央線から分岐する形になっているが元々は六番線から瀬戸線がそのまま登っていく形だったので線路配置は元の予定とは変わっている事になる。
2012年03月16日。信号機。「愛下本出《が「瀬上本出《だったかも。2012月03月16日。こちらは一番線の信号機。
2012年03月16日。勾配を上り、カーブしながら中央線を跨ぐ。2012月03月16日。一番線からの高架橋と一緒になった所に一番線で折り返す列車のための渡り線。瀬戸線として最初から複線で出来ていたらこの渡り線はなかったか。
2012年03月16日。結構高い位置で庄内川を渡る。右下の水色の橋は愛知用水の水道管橋。右手前が高蔵寺方向になる。2012月03月16日。続いて水野川を渡る。高蔵寺方向を見ている。
2012年03月16日。次の中水野駅はトンネルとトンネルの間にある。松山トンネル内から四谷トンネル、高蔵寺方向を見る。2012月03月16日。中水野駅ホーム。瀬戸線として開通していれば両方向とも十輌編成が停まれる長さのホームが作られていた事と思われる。短い瀬戸市方面のホームから出発。
       
2012年03月16日。東側から中水野駅を見る。こちらは裏口という感じ。駅前は畑が広がり、線路近くの道路にはP&Rの車が並んでいる。
2012年03月16日。中水野駅ホームから駅東側を見る。見事に何もないが橋を渡って少し行ったところにコンビニがある。
2012年03月16日。中水野駅西口。こちらにバス停のある駅前広場と駐車場があるので一応表側か。
2012年03月16日。中水野駅ホームから西を見る。こちらも愛環が開通したころは何もなかったが駅周りの平地より土地の取得しやすい周囲の山林が開発されて住宅が増えてきている。左奥の住宅団地の中にはイオンも見え、その先、瀬戸市駅方面に住宅が連なる。正面、山の向こうは吊古屋市守山区だが今のところ幹線道路ではつながっておらず人や車の行き来はあまりない。
       
2012年03月16日。瀬戸市駅を出発し松山トンネル南側を走る高蔵寺行き。2012年03月16日。瀬戸市駅ホームを北端から見る。ここまでが国鉄瀬戸線の区間でこの先は岡多線として作られた区間になる。反対側ホームは出来ていた高架橋に付け足して作ったものだがこちら側は幅も広く屋根の形を見て判るように元々両面用ホームとして作ってある。
2012年03月16日。JRからの乗り入れ車が並んで停車中。元の予定通りなら反対側にも一面二線の同じホームが作られ二面四線の駅になっていた。2012年03月16日。駅北側、高蔵寺方向。線路両側共、先の土盛り高架が横へ広がりホーム反対側への線が作れるようになっているのが判る。
2012年03月16日。駅ホームから南側、瀬戸口方向を見る。こちらも高架橋が駅に向かって横へ広がるように作られているだけでなく瀬戸口方面側が駅とは反対方向にも広がるように作られているのが判る。岡多線、多治見方面との分岐駅になる筈であったので或いは留置線や貨物のヤードでも作る予定になっていたのであろうか。2012年03月16日。高架下から見る。どう見ても本線に合流する形ではなくそのまま先へ線路が並ぶような形に見える。
2012年03月16日。予定ではここに両面ホームと線路1本分の高架橋が出来る筈であったが細いホームを継ぎ足して終わった。2012年03月16日。駅西側にバス乗り場とスーパー。高架下にもスーパーがある。
2012年03月16日。東側。こちらには向かい側に地元の銀行の本店ビルがある。




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