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アレコレコレクション>鉄道系>白鳥線(臨港線支線)表紙>白鳥線?地図白鳥線廃止前と後の写真廃止後の白鳥線臨港線と西名古屋港線

白鳥線ー廃止前と最近の比較写真

以下に廃止直前、1982(昭和57)年に撮った写真と2004(平成16)年のほぼ同じ場所の写真を並べてみた。写した場
所は概ね、八幡信号場から白鳥駅方向に順に並んでいる。あまり写りが良くないが大体の感じはつかめると思う。

2011年7月13日ー6、18に動画を追加しました。


0 臨港線から白鳥線が分岐する八幡信号場手前の場内信号機。臨港線用と白鳥線用の2機ついているのが見えるが
いまは当然臨港線用1機だけ。建物が建って同じ方向からは見えないので横から。信号設置用に築堤が横へ出っ張り
新幹線用の防音壁もそれに合わせた形に取り付けられている。


1 臨港線からの分岐点であった八幡信号場。入口から横へのスロープにはレールが一本敷いてあり、重い資材等を上へ
揚げる為のものかと思われる。建物は今も残っているが通常は無人で、時々車でJRの人が来て点検等しているようだ。


2 幡野町地内。このあたりの土手では今でも春先になると土筆(つくし)を採る人が見られる。土手を上がると
臨港線との間が三角形の草っ原で、子供の遊び場にもなっていた。JRになってからフェンスが張られて入る人が
殆どいなくなった為、所々に自然に出来ていた登り道も草に覆われて無くなってしまった。今は築堤が途切れた
所にビルが建っている。この先の築堤は廃止後すべて撤去された。

築堤へ上がって見る。左は白鳥線から八幡信号場方向を見ている。臨港線の向こうを新幹線が通る。右は白鳥へ向か
う列車。手前、白鳥線と臨港線の間のスペースが整地されているがこれは新しく、以前はずっと草ぼうぼうであった。

左、白鳥を出てきた列車で奥の方にレム車と緩急車が見えていて結構長い編成。手前に見えている線路は臨港線に
並行して敷かれた保線用車を置く為の短いものでこれも昔はなくこれを作った時にこの整地も行われたものと思わ
れる。右、同じ列車が八幡信号場で臨港線に合流、先頭の機関車は臨港線に入ろうとしている。


3 幡野町地内。下の道路を子供が駆けて競争できる位のゆっくりとしたスピードで線路を軋ませながらカーブを走って
来る。写真2のビルを反対側から見る位置。


4 幡野町地内。このトンネルを抜けると切戸町ですぐ先に臨港線と新幹線のガードがある。築堤が撤去されて
こちらからも見えるようになった。3の写真の交差点の左方向を見る。


5 切戸町地内。4のトンネルの切戸町側から八幡信号場方向を見る。築堤を撤去した跡にビル。
左の建物は今も残っている。


6 切戸町地内。4のトンネルの切戸町側から白鳥方向を見る。道路の緩いカーブだけが昔と同じ。


7 切戸町地内。4のトンネルの切戸町側の臨港線沿いから八幡信号場方向を見る。奥の築堤上に臨港線から
離れてカーブしていく列車が見える。


8 切戸町地内。単線だが斜面のある土盛築堤+両側に少し余裕のある敷地でマンションを建てるにちょうど
いい幅だったようだ。


9 江川通。北から南を見る。機関車や貨車の大きさと比べると下の狭さ、低さが判る。歩道もここだけ
作られなかった。これを市バスがギリギリでくぐり抜けて行った。鉄橋の橋脚が道路中央でなく少し右
(西)へ寄っているのは1960年代前半まで左(東)を用水(江川)が流れていたのでその位置に合わせて立てた
ためと思われる(今はこの道路の下で暗渠になっている)。線路跡地にはマンションが建った。


10 千代田町地内。信号機は2灯式。このあたりはなぜかススキが多かった。用地は余裕たっぷりで物置や
駐車場に勝手に使われているが国鉄の頃はどこもこんな感じ。


11 青池町地内。比々野踏切を過ぎて登り勾配にかかる。


12  青池町地内。このトンネルは1960年代後半,主にこのすぐ南にある野立小学校の通学用に作られたものである。
これが出来る前は土手に古木材で土止めをして作った階段があり、線路を跨いで向こうへ渡るようになっていたが
通学では通行禁止になっていたので小学生は江川通まで迂回して通学していた。今は路面だけが残って歩行者用通路に
なっている。


13 比々野町地内。白鳥行き列車が坂を下ってくる。


14 比々野踏切にさしかかり白鳥駅へ進入してくる列車。側線から右手前へ枝分かれしてカーブしていく線路の
先に名古屋市場がある。線路沿いの道も無くなった為(地図ページの地図では道があるように描かれているが
名古屋中央卸売市場構内で一般通行は出来ない)、今はこの位置で写真が撮れない。


15 比々野踏切を通過。この踏切から少し先までは線路跡も線路沿いの道も無くなってしまった。

踏切西南側にある踏切番小屋。


16 白鳥駅に到着すると機関車を反対側に付け替え、編成を解結して貨車を所定のホームへ振り分ける作業が
始まる。写真11にある名古屋市場へ入る線路が踏切に近いため、ここへ貨車を出し入れする時はどうしても
比々野踏切を塞ぐことになる。このように人や車が沢山待っているのもお構いなしといった感じて踏切上で停まった
ままになったり、動いたかと思うとまた停まり、行ったかと思うとまた戻ってくるという光景が一日に何度か見られた。

左は白鳥駅脇から比々野踏切方向を東から、右は車がかなり溜まってきた踏切を北から見ている。


比々野踏切を南から見る。左は貨車入換中で車はいらいら、右はやっと開いたところ。


高速道路が出来て全く様子が変わっている。左が北から、右が南から。


2010年8月、高速道路開通前のウオーキング開放時に比々野踏切跡上の高速道路から見た白鳥線跡八幡信号場方向。
本線、入れ替え用の側線と踏切の西にはもう一本使われずに錆ついた短い側線の計3線並んでいたので駐輪場もその幅。


17 比々野踏切から東へ11の写真の線路沿いの道を行った突き当りにこの入口があった。
今は中央卸売市場構内で近づけない。


18 駅事務所等の建物が見える。左奥に見えるホームは貯木池に面したものだがこの頃は既に木材を扱って
ないので有蓋車が留置されているのが見える。現在の写真の正面のビルの向こうが国際会議場。


19 大体同じ位置、方向で撮ってあるがとても同じ場所とは思えない位の変りようである。現在の写真で右へ
入る道が見えるが、これがかつて線路沿いの道だったもので場所は日比野交差点から少し東に行った所である。


20 白鳥駅最奥部方向(南)を見る。先に見えているビルの向こうに国道一号線がある。線路とその向うの貯木場
跡は白鳥公園に変った。留置線は4本あり、右の2本が一番奥まで延びている。今の写真で奥に見えている建物は
名古屋学院大学。右へ枝分かれしている線はこのまま真直ぐ現在コジマ電機があるあたりまで延びていた。


上の画像で一番右に分岐している線のもう少し先を見る。今は何の形跡もない。


逆方向(北)を見る。今の写真で見えている建物は名古屋国際会議場。


18 名古屋市場駅(廃止時は白鳥駅の構内の一部)の様子。


19 この四枚は連続で、市場駅からの貨車の引き出し。名古屋市場駅として独立していた頃は線路とホームが
もっと奥まで延びていた。縮小して空いた所に貨物を奪ったトラック等の駐車場が出来た。
この列車が通っている線路と交差して手前から右へ入っていく線路の先には冷蔵品を積み降ろしするホームがある。



20 このように貨車を組成したり解結するために職員が貨車にぶら下がるように乗り、旗で機関士に合図して
所定の位置に停めたり移動させたりする。また連結器を外した状態で機関車が押し、ブレーキをかけると貨車は
慣性でそのまま走っていくのでこれに職員が乗って足でブレーキを操作し所定の位置に停める(突放)。動いている
貨車に飛び乗ったり、飛び降りたりする危険な作業だが、昔はどこの貨物駅や操作場でも見られた光景である。



21 堀川の土手から見る貯木池にも既に木材の姿はない。全く別の場所のようであるが大体同じ方向を見ている
筈である。ただし、同じ角度だと土手しか写らないので少し上を見ると国際会議場がある。相当土を盛った事が判る。


22 組成を終え、本線に移って信号が変わるのを待つ。14の現在の写真で右へ入る道がこれである。



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