2

アレコレコレクション>名鉄美濃町線廃止まえ・あと

名鉄美濃町線廃止まえ・あと

美濃町線は1912(明治44)年美濃電気軌道が開通させその後名鉄と合併し名鉄美濃町線となる。1970(昭和45)年田神線開通。 1999(平成11)年新関ー美濃間廃止、2005(平成17)年全線廃止。

................................................................................................................................................................................................................................................................................................................

2005年の春に廃止された名鉄美濃町線の廃止前の2004年と廃止後の2005年の夏〜秋の画像を並べてみました。全体的には、復活させようという動きもあるためかレール、ホーム、架線柱、橋梁等は残してあり、架線、信号、踏み切り警報機等電気系のものと駅の時刻表、駅名板等表示類は取り払われている状況。左が廃止前、右が廃止後。


2006年春から夏にかけても線路跡を見てきたので変化のあった所は画像を追加しました。全体的には木製の架線柱や駅にあった待合所等の建物が撤去されている所があったといったところ。すぐ下の画像にもあるように岐阜市内については線路の撤去も始まるので復活からは遠ざかっていく感じである。


2007年夏。少しずつ形跡が減っていっている状況で道路併用区間はほぼ撤去終了し、専用軌道区間でも一部で線路撤去が行われている。

2008年初夏。岐阜市街地併用軌道区間はほぼ形跡消滅。その他の区間でも線路撤去が進む。見た目一番大きな変化は津保川鉄橋が一部撤去された事か。

2009年初秋。津保川鉄橋消滅。その他、道路に平行していた所で線路跡が道路拡幅に使われている所が。

2010年秋。所々で軌道跡を使って道路の拡張が行われ形跡が消滅しています。

2011年夏。道路と平行して走っていた琴塚駅東方ー日野橋、小屋名東方ー新関西方で軌道跡を使って道路拡張工事が行われており順次形跡が消滅していっています。

2012年夏。道路平行区間で道路拡張工事が進みさらに形跡消滅した所が増えました。市の坪駅跡と隣接の車庫跡にパチンコ店が建設中です。

2012年末。市の坪駅と車庫跡に建設中だったパチンコ店がオープンし形跡消滅しました。画像は市の坪駅前後だけ追加しました。

2013年初夏。日野橋交差点前後で線路跡を使って道路拡幅中。岩田駅は半分消滅、新田駅消滅、新田ー新関間道路並行区間で消滅中。

2014年春。日野橋交差点付近消滅。新田ー新関間道路並行区間消滅。

2015年春。日野橋駅跡付近道路化工事。消滅中。新関駅解体撤去消滅。

2016年初夏。日野橋駅跡付近道路化工事。消滅中。新関駅跡に住宅並ぶ。小屋名ー新関間完全消滅。

2017年春。日野橋駅跡消滅。新関駅跡はさらに住宅が増えている。

2019年春。特に大きい変化はないが何箇所か画像を追加しました。

2020年春。野一色駅の先〜白金駅の先の間の軌道跡数箇所にソーラーパネルが設置されました。雑草除け用のマットを敷いた上にパネルを設置してありこれらを撤去すればまた軌道跡が出現するので消滅とは言い難い。

2023年春。大きな変化はなく野一色駅、岩田駅、下芥見駅のみ画像追加です。

↓2023年4月時点での状況です。

  

画像が追加されていないところは変化の無かったところです。


徹明町駅ビル

2004年。停車中の電車と名鉄徹明町駅ビル(入口に階段が見えるビル)。 2005年。「売り物件」の赤いポスターが貼ってあった。

2009年。今はなき「電車」「市営バス」の文字がまだ残っているビル入口。

徹明町駅

2004年。徹明町交差点東にある停留所。線路はまっすぐ揖斐線に向かう市内線につながっている。 2006年。9月から線路の撤去工事が行われ、徹明町交差点を挟んで美濃町線の徹明町電停部分から西へ揖斐線の金町電停までと新岐阜駅前交差点までが撤去舗装された。旧新岐阜百貨店前は残っている

金園町二丁目交差点

2004年。徹明町の少し東。 2005年。架線が撤去されている。
2007年。舗装もしなおされて跡形もない。

新岐阜駅ー現名鉄岐阜駅

2004年。各務原線用の改札口と並んで美濃町線専用の改札口と券売機があった。 2005年。板で塞がれてしまっている。
2006年6月。改札のあったところに案内所が出来た。

2004年。軽くスロープを下りると美濃町線用の少し低いホーム。 2007年。ホームは撤去され線路は留置線として利用。ホームがあった分、隣の線路との間隔が広い。

2004年。駅を東から見る。ちょうど美濃町線の電車が発車したところ。 2005年。同じ線に3300系が留置されている。

田神駅

2004年。各務原線のホームの東ー犬山寄りーに美濃町線専用の低いホームが縦に並んでいる。 2005年。柵がしてあるだけでそのまま残っている。
2006年。美濃町専用のホームが撤去されて無くなっていた。 2010年。踏切警報機配線用の側溝が線路際に移動している。
2012年。柵が取り外し可のものに代わっている。 2014年。新しい駅舎建設中。
2014年。今までのはビルの横にくっついていてトイレはビル内のを使うようになっていたがその横に新しく建設中。 2015年。新しい駅舎に変わった。以前の駅入口と隣にあったビル跡には某飲食店が出来ている。
2015年。駅の横にあったビルが無くなって右側の空が広くなった。

各務原線・田神線接続地点

2004年。田神駅のすぐ東。各務原線から分岐してすぐの所に1500V→600Vの死区間がある。 2007年。分岐線、渡線共に撤去された。跡のバラストがまだ錆や油のついていない灰色。
2011年。死区間より手前の線路が改軌されている。 2011年。踏切部分も幅を広げたままアスファルトで固めてある。
2012年。奥、車庫の跡地に建ったパチンコ店の建物が見える。線路跡が残るのはその手前の橋までとなった。 2014年。警報機が各務原線際の田神線跡上に移された。踏切上に残っていた線路も無くなっている。
2014年。合流地点方向を見る。 2015年。ガードレール設置される。
2015年。反対側も。

市ノ坪駅。

2004年。小さい川を渡ると車庫の横にある駅。 2005年。柵が立てられ人の通行が無くなった為かゴミが放置されている。車庫には電車がまだ沢山置いてある。
2007年。駅や車庫の建物が無くなってむこうの民家等が見えるようになっている。 2011年。柵が倒れている。
2012年。パチンコ店の建物の基礎工事中。 2012年末。パチンコ店オープンしその駐車場が目の前に。

2004年、交換駅。留置線に電車がズラリ。 2007年。ホームに面した線路以外殆ど撤去された。
2008年。ホーム部分の線路も撤去された。 2009年。架線柱撤去。
2012年。ホーム跡やら何やらすっかり均されて更地になり基礎工事中。 2012年末。駅、車庫跡地完全消滅。


市ノ坪駅東方。

2004年。市ノ坪駅を出た電車が向かってくる。90°カーブして併用軌道に入る。 2005年。虎柵が立てられた。
2006年7月。一年経って更に草ぼうぼうに。 2007年。虎柵も線路も覆われ、更に鬱蒼と。
2009年9月。架線柱も無くなった軌道跡に作業用?の道路が作られている。 2010年。柵が厳重になった。
2012年。奥に塀が立っているのでそこまでが用地かと思うがここもパチンコ店への入口に使われるか。 2012年。線路跡のカーブの舗装が残っているがこれもどうなるか。
2012年末。線路跡がパチンコ店出入口通路となり消滅。ただ上画像のアスファルトのカーブ跡はまだ残っている。


競輪場駅

2004年、田神線から美濃町線に合流する手前の競輪場駅。正面の山の頂上に岐阜城が見える。 2005年。架線や電柱の信号が無くなっているが線路はそのままなので今でも電車が走ってきそうな感じ。
2007年。 2011年。舗装しなおされている。


美濃町線・田神線合流点

2004年。競輪場駅で乗務員の交代があったので詰所の建物がある。 2005年。案内板やポスター類は全部取り外されている。
2006年。詰所の建物は無くなって空き地に。 2008年。舗装もし直されて跡形なし。


北一色駅西方(岐阜寄り)

2004年。北一色駅西の歩道橋の上から。新岐阜行きと、後方の北一色駅に続行運転していた徹明町行きの赤い電車が見える。 2005年。架線が無くなって上空がすっきり。
2007年。薄い白線が引かれているのは近々舗装をやりす工事が始まるため。 2008年。軌道がなくなった分で左側に縁石で仕切った歩道が出来た。
2014年。新しかった縁石等の色が大分と周りと同じような感じになって馴染んできた。右にはコンビニが出来ている。線路が無くなって出入りがし易くなったからか沿線には廃止後何軒かコンビニが開店している。 2019年。コンビニがうどん店に変わり、道路の舗装が少しやり直されて
いるくらいの違い。


併用・専用軌道境界(北一色・野一色間)

2004年。北一色ー野一色間の岐阜市長森本町で再び併用軌道から専用軌道へ入った。 2005年。虎柵で仕切られている。
2006年クルマが横切る部分が線路の頭だけ出してアスファルトで埋められていた。 2007年。完全に舗装し直された。
2012年。併・専境界標も8年経ってぼろぼろに。 2019年。さらに塗装が剥げ落ちている。


野一色駅

2004年。徹明町行きはここが始発。 2005年。踏切ごとに虎柵で仕切り、廃止看板が立っている。
2007年。岐阜寄りポイント部分の線路が撤去されている。 2008年。ホーム部分の線路もなくなっている。
2010年。線路と電柱が消えている。 2011年。虎柵を移動して下りホーム部分を道路の足しにしている。
2011年。配線溝を撤去した箇所のホームがめくられたままになっている。

2004年、野一色駅のすぐ西。線路沿いにキバナコスモス。 2007年。じわじわと線路部分にも侵食してきている。
2008年。線路がなくなっている。 2008年。駅跡の近くにまだこんな「野一色電停」の矢印看板があった。
2009年。砂利道のよう。 2009年。「野一色電停」の文字が消された。
2010年。電柱消える。草が全然無いのはなぜか。 2011年。勝手に生えていたキバナコスモスが消されて代わりにコスモスが植えられている。
2017年。バラストが埋もれつつある。 2023年。バラストの間に土が溜まって根がはり易くなるのか
雑草に覆われている。


白山神社

2004年。参道に踏切があるので有名。 2005年。踏切が廃止になってただの神社に。
>
2009年。真ん中がコンクリート、両端がアスファルトになり線路は姿
を消した。
2010年。線路跡に新しい燈籠が建つ。
2010年。線路の位置からして手前のは建築限界を超え、奥のは車両限界に食い込んでいる。 2011年。燈籠の奥、線路跡に植樹されている。
2020年。神社から西、野一色方向を見る。軌道跡上にソーラーパネル
が設置されているのが見える。


琴塚駅

2004年。 2005年。虎柵が立ち、駅名板が外されている。
2008年。じわじわと樹木に覆われていっているように見える。 2010年。木に覆われ始めていた電柱が無くなった。
2011年。階段横のベンチ小屋が無くなった。 2012年。線路跡上に覆いかぶさるように繁っていた木が刈られたのか少なくなっているように見える。
2015年。道路向かい側から駅へ電気を引き込んでいた電線と電柱が撤去され、代わりに監視カメラか何かの鉄柱が立っている。


琴塚駅ー日野橋駅間

2004年。道路の端を並行して走る。 2007年。琴塚駅の東(日野橋寄り)から日野橋駅まで線路が撤去されている。跡にはこのようにバス停になったところも。
>
2009年。日野橋すぐ手前。木の枝に線路跡が覆われ向うが見えないくらいになっている。 2010年。琴塚駅の少し東で道路拡張が行われ軌道跡消滅。
2011年。拡幅工事が日野橋駅方向へ進んでいく。 2011年。車道まで枝が伸びているがどうやら拡幅工事が進んでくると伐採されそう。
2014年。歩道だけ出来ている。 2014年。喫茶店入り口に残る注意書き。
2014年。雑草除けマットが外されて整地したらしき様子も見え、やっと工事が始まりそうな感じ。 2015年。歩道ができて車道の工事中。これでこの辺も消滅する。
2016年。まだ工事中。 2017年。道路上に伸びていた木が伐採されている。車道も線路跡寄りに移動している。
2017年。もう少し手前の交差点。線路跡を使って車道を広げ右折車線
が作られている。
2020年。琴塚駅のすぐ東、ドラッグストア前の歩道工事が始まる。ここ
が済むとこの区間の道路整備が終わる。
2020年。日野橋すぐ手前。歩道にガードレールが設置されている。


日野橋駅

2004年。朝夕にはここ始発・終着の電車もある。 2005年。架線が消えて虎柵が並び、人が通る事が少なくなって線路周りの雑草が増えている。
>
2007年。線路が撤去されて跡にバス停が。 2009年。土の部分に雑草除けのマットが敷かれているが余り意味なさそうに見える。
2013年。駅のあった所に工事看板が立つ。この道路と平行して少し北(左)を岐阜東バイパスが通っており奥に見える青い案内板のある交差点でそれにつながっている。バイパスへ出入りする右左折車による渋滞を解消するための車線増に交差点前後の線路跡が使われる。
2013年。交差点脇に架かる歩道橋から岩田坂駅方向を見る。工事塀で仕切った左ではバイパス道路の延伸工事が
行われており左の山には既にトンネルも出来ている。右で線路跡をつかった道路拡幅工事中。
2013年。撤去工事を道路端から見る。奥に交差点の歩道橋が見える。 2013年。もう少し先の岩田坂駅ちょっと手前から見る。工事は坂の途
中まで。
2014年。奥の交差点から徐徐に工事がこちらへ進んでくる。 2014年。交差点部は左折車線や歩道に使われて線路跡が消滅している。
2014年。バイパス道路が山を1キロ程のトンネルでぬけた先まで開通している。バイパス道路に入る車が増える為に旧道の方には線路跡を使って道を広げ右折車線が作られている。奥の坂を上がり始める辺りまで線路跡が消滅している。
2015年。歩道でき、車道工事中。 2015年。交差点の案内板には線路跡に貼紙した跡が残っている。
2016年。舗装。結構のんびりやっている感じ。 2017年。出来て線路跡消滅。車道が左へ寄せられて右の歩道が広く
なっている。
2020年。右側歩道にガードレールがつき、左側側溝外の舗装ができて
いる。バス停の位置が少し変わっている。
2020年。日野橋ー岩田坂間でソーラーパネルが設置されているところ
がある。
2020年。少し先にも。


岩田坂駅

2004年。日野橋から坂を上った所にある。 2005年。ちょうど線路の草取りが行われていた。
>
2007年。ホームの照明灯柱が無くなり電柱の数が減っている。 2008年。枕木を外しているところ。
2009年。草に覆われつつある。 2009年。日野橋ー岩田坂間の線路際土手が崩れて線路跡が埋まってしまっている。
> >
2010年。土手は直されている。 2010年。その部分、工事のときに削られたかバラストがなくなって土が露出している。
2010年。架線柱撤去される。 2011年。ベンチ小屋無くなる。
2014年。ホーム土手の木が抜かれる。 2017年。数年前までバス停にあったベンチが何故か今頃ホーム出入口
にころがっている。
2019年。古ベンチの転がっている場所が変わり、バス停には新しく小さいベンチが設置されている。
> >


岩田駅

2004年。 2005年。ここも特にホームと線路の間の草が目立つ。
2006年ホームの待合所がなくなった。 2007年。電柱が棒だけになった。
2008年。線路撤去。 2009年。ここも線路が消えて砂利道になっている。
> >
2009年。岩田駅すぐ先で線路跡を使って道路拡幅工事が行われている。車道で半分消え、残りも歩道が作られると消滅する。 2010年。架線柱撤去。
2010年。岩田駅少し東の交差点付近。道路拡張が終わってコンビニも出来、形跡消滅。 2011年。虎柵倒れる。真夏の割に草が少ないのは除草剤を撒いたばかりだから。
2012年。虎柵立つ。 2012年。駅前の交差点名はまだこれ。
2013年。岩田駅前交差点の手前からガードレールの色が変わって道路が作り直されている。 2013年。線路跡を使って広げた分で右折車線が作られた。歩道が作ってないので線路跡が半分残っている。
2013年。歩道とバス停車帯が作られ駅消滅。 2013年。道路向かい側から見る。
2013年。と思ったらバス停の先で歩道はストップ。 2013年。ホームが半分残っている。
2014年。交差点名変わる。ここら辺の地名をつけたのだろうが駅の東には「岩田」交差点がありそれより西のここが「岩田東」。 2016年。すぐそこにコンビニのある岩田交差点があるので歩道も延ば
すかと思っていたのに、線路跡に草除けのマットを敷いてそのまま。
2016年。反対側から見る。交差点からバス停まで行こうとすると危な
い車道かモコモコのマットの上を歩いて行くしかない。
2019年。草除けマットに草が生え始めている。いつになったら歩道を作るのか。おかげでホームの残骸は残り続けている。
2023年。草除けマット剥がされている。


岩田駅ー下芥見駅間

2004年。岩田から道路に並行して走る。 2007年。架線柱無くなる。
2008年。レールなくなる。 2009年。草に覆われる。
2013年。電柱一本無くなる。 2019年。看板無くなり、奥の看板変わり、勾配標だけがぽつんと残る。
2020年。ソーラーパネル並ぶも勾配標は残る。


下芥見駅

2004年。ホームと駅舎。電車の行き違いが行われていた駅。再び駅名板が掲げられる日が来るだろうか。 2005年。ホームに草が。
>
2006年駅舎が無くなっていた。 2007年。架線柱が無くなり、刈られたのだろうが再びホームに草が生え始めている。
2010年。駅の向こうに残っていた架線柱が無くなった。 2011年。他の駅でもそうだがバラストが徐々に土に埋もれていっている。
2013年。さらにバラストが土化しているように見える。 2013年。駅の少し先、用水と平行している所で護岸工事がされ護岸が厚くなった分線路用地内に流れが移動している。
2014年。駅前の昔店だったと思われる家が無くなって広々としている。 2014年。用水工事が駅方向にすすんできて線路跡半分消滅区間が延びた。
2015年。用水出来る。用地は半分残っているが線路跡とは判りづらくなった。 2019年。ホームのアスファルトや軌道跡のバラストの隙間に草がじわじわと広がっていく。
2020年。ホームの線路跡部分にソーラーパネル設置されフェンスで囲
われる。奥先、岩田寄りの軌道跡にも設置されている。
2023年。奥に家が一軒建った。
2023年。上芥見方用水沿いはマットを敷いて駐車場になった。

2004年。駅舎。無人化されているので窓などは塞がれている。右は緊急事態以外はちょっと使う気になれないトイレ。 2005年。駅名板が外され虎柵が並んでいる。
>
2006年。駅舎が無くなって向うが丸見え。 2010年。枠だけ残っていた駅名標が無くなった。
2014年。駅が無くなった今になって広々とした駅前広場が出来た。
2020年。フェンスで囲われた駅軌道跡上にソーラーパネルが並ぶ。
2023年。駅舎跡に民家建つ。


上芥見駅西方

2004年。上芥見駅の少し西にあった踏切から岐阜方向を見る。 2005年。レールが見えないくらいに草ぼうぼうになっていた。
>
2006年9月。先のほうに軌陸車が見えるが架線柱の撤去をしているようであった。 2007年。架線柱が無くなった。草刈をしたばかりのようで線路だけがすっきり残っている。
2009年。レールがなくなって草に覆われ始めている。勾配標が倒れている。 2010年。勾配標が90°向きを変え朽ち始めている。先のほうではより草に覆われてきている。
> >
2011年。手前の方がきれいに均されていずれ勝手に駐車場にされそう。 2015年。一応柵が立っている。
> >


上芥見駅

2004年。駅前から西(岐阜)方向を見る。カーブの向うから電車が顔を出す。左土手の上は用水が流れている。 2005年。今も架線がないだけで電車がやってきそうな感じがする。
>
2007年。架線柱が棒だけになった。 2012年。ホームも何もきれいさっぱり無くなった。
2014年。ホームの土手の上を流れている用水の改修工事が行われていてその上の斜面が大きく抉られている。 2016年。改修した跡も元の草ぼうぼうに戻っている。道路がここから舗装し直されて線路跡の舗装の継ぎ目が無くなった。
2019年。交差点にミラーが設置され電柱に看板が付く。

2004年。道路を挟んで向いがわに小さな待合所があった。 2005年。表示類は全て撤去されている。
> >
2006年。待合所がなくなっていた。 2013年。厳重な柵が倒れる。
2014年。ロープの柵出来る。 2015年。電車の代わりに走っていたコミュニティバスみたいののバス停が無くなっている。ここからは誰も乗らんから路線変更されたようだ。
2017年。時刻表が少し変わってバス停また現れる。 2019年。バス停ポールが金属製の柱のものに代わり土台もでかくなる。
2020年。バス停また消えて跡だけ残る。


上芥見駅東方(関寄り)

2004年。上芥見駅から少しの間、道路の端を走った。道路中央にあるよりも車に踏まれやすいのか線路の間を埋めたアスファルトもかなり崩れたりひび割れたりして線路状態があまり良くなく電車で通るとよく揺れた区間だったように思う。併用軌道と言うより道路が狭いので線路の間も舗装して道路の足しにしていたような感じ。 2005年。廃止の後、錆付いたレールも車のタイヤに踏まれやすい道路中央寄りは錆が落とされている。
2007年。所々ひび割れていたアスファルトの舗装をしなおしてあるが何故か線路の頭が出してある。 2008年道路端側のレールは草に覆われた。
2012年。線路も撤去したのかきれいに舗装されている。 2016年。線路跡まで舗装し直されているがその右まで広げる気はなさ
そう。
2020年。もう少し先、ソーラーパネル。 2020年。さらに先にも。奥の山の手前で左へカーブして津保川を渡る所。


津保川鉄橋南(岐阜寄り)の用水

2004年。津保川を渡るために90°カーブする所にある。 2007年。鉄橋が外されている。
2011年。向こう側の電柱消える。 2016年。線路跡には順調に木が育っている。
2019年。虎柵の位置が移動し木もさらに成長している。


津保川鉄橋南

2004年。沢山の人が撮影に訪れていた津保川鉄橋の袂。 2005年。
2007年。線路が撤去され、木の杭が立てられている。道路の踏切跡鉄橋側にはガードレールが取り付けられた。架線柱も無くなっている。 2009年。鉄橋が無くなり河川敷の樹木も伐採されて対岸の新しい護岸が見える。
2011年。せっかく木を伐採したのに両側から徐々に枝が伸び始めている。 2013年。電柱が立って何やら監視カメラ見たいのがついている。
> >
2017年。手前の柵が崩壊し始め、道路向こうでは木が成長してきてい
る。
> >


津保川鉄橋

2004年。 2005年。架線の有無以外変化なし。
2008年。両端の鉄橋が撤去された。左岸(右側)は木に隠れて見えない。 2008年。もう少し近くから見る。撤去跡の堤防がブロックで護岸工事されている。
2008年。あとはこのまま?これでは歩いて渡れない。という輩がいるからこうしたのか。 2009年。鉄橋消滅。白い護岸を見て何かがあったということに気がつく人は気がつく。
2009年。川には何にもなくなった。向う側には架線柱が残っている。 2011年。川向こうの電柱が無くなっている。
2020年。川の向こうにはソーラーパネル。


白金駅

2004年。 2005年。人の手が入らないとすぐこうなってしまう。
2007年。ここも架線柱が無くなっている。 2008年。岐阜方面ホームにあったちょっと形のいい松と元は店をやっていたと思われる民家が無くなった。
2009年。線路が撤去された。草は枯れ、線路跡には木片がいくつか。 2011年。ベンチ小屋と駅名標無くなる。
2014年。バラストが沈みこんだり上に土埃が載ったりして徐徐に粒々感が無くなってきている。 2019年。奥の踏切跡道路の柵が新しくなった。
2020年。ホームの間の起動跡にソーラーパネル。 2020年。反対側から見る。

2004年。 2005年。
2008年。 2012年。


白金駅ー小屋名駅間

2004年。白金駅を出て暫くするとまた道路端へ現れる。 2005年。
2006年。ここにもトラックと軌陸車の姿が。線路上空の架線以外の電線もきれいさっぱり無くなっている。 2008年。線路あとが歩道になった。
2017年。少し先の線路跡。ここだけ水路?に蓋がされ舗装もされて
線路跡消滅。
2019年。縁石もすっかりグレー色になって周囲と馴染み、GSの看板が新しくなり右側に電柱が一本建った。
2020年。ガソリンスタンドの裏にソーラーパネル。


小金田歩道橋から

2004年。岐阜市と関市の境目の辺から岐阜市方向を見る。 2005年。早速線路の間にも草が。
2006年。架線柱の看板無くなる。 2008年。手前の架線柱、棒だけになる。
2009年。架線柱と線路無くなる。 2012年。線路跡にバス停できる。
2013年。線路跡に雑草除けのマット敷かれる。 2018年。バス停手前にもマット敷かれる。
2020年。バス停に屋根ができた。


小屋名駅

2004年。道路からそのままホームになっている。 2005年。
2009年。小屋名駅消滅。駅すぐ東(関方向)で交差点改良工事に合わせて道路拡幅工事が行われている。 2009年。線路跡にも土が盛られている。
2009年。交差点改良工事中。線路跡で盛んに工事が行われている。 2009年。もう少し東に行くと線路跡が道路に。
> >
2010年。まだ工事現場っぽいが駅跡は全く無い。 2010年。駅すぐ東の交差点は右方向、線路に沿った方が直進だったのが以前左折だった方が直進に作り変えられた。
2010年。更にその先でも道路を広げる工事が始まっている。左の草地が軌道跡。 2011年。きれいに歩道が出来た。
2012年。小屋名駅の東から線路跡に歩道と自転車道が出来た。これがここから新田駅手前まで完成している。 2019年。駅跡。作り直した感もなくなり昔からずっとこの景色だったみたいにすっかり周りになじんでいる。


赤土坂駅少し西(岐阜寄り)

2004年 2005年
2007年。小屋名駅東(関寄り)から赤土坂駅までレールが撤去され道床だけが残っている。 2009年。草ぼうぼう。
2011年。道路拡幅中。拡幅分は殆ど歩道になる。 2012年。線路跡消滅。
2015年。交通標識立ち、歩道と自転車道の間に街路樹が植えられている。


赤土坂駅

2004年。交換駅。 2005年。
2006年。ここでも撤去工事中。 2007年。きれいさっぱり無くなった。
2008年。跡に撤去した廃材が置かれている。犬釘の山。 2010年。奥右側にあった樹木が撤去されている。或いはここも道路拡張か?
2011年。車道を軌道跡側に寄せ反対側にも歩道を作る。 2011年。道路端に僅かに残る形跡。
2012年。ホームがあった所。 2012年。さらに東へ歩道とカラー舗装の自転車道が続く。
2015年。奥に歩道と自転車道の標識が立ち、車道には街灯が立っている。


新田駅

2004年。国道、線路、生活道路と並んでいるので道路の真ん中を走っているように見えた所。奥の高架は東海北陸道。 2005年。表示類が取り外されている。
2007年。架線柱が棒だけになっている。 2011年。架線柱が消えている。赤土坂付近の工事がやがてこちらへ進んでくる。
2012年。この駅の少し手前まで完成しておりここもあとは歩車道共舗装するだけのように見える。 2012年。ここも消滅。
2013年。工事終わり消滅。


関市栄町三交差点方向を少し西にある歩道橋から見る。。

2005年。ど真ん中に線路があり、右側は国道として車が走り倒しているが左側は半分遊んでいる様な生活道路。道路左は岐阜バス車庫。 2006年。架線が無くなったくらい。
2007年。架線柱、棒だけになり、国道の車道端に立っていたバス停ポールが線路上に移動している。 2009年。レール撤去。バス停ポール道路端に戻る。
2010年。架線柱無くなる。 2011年。線路跡を舗装してバス停に。岐阜バス車庫無くなる。電車もバスもどんどん無くなって行く。
2012年。バス車庫跡整地される。 2013年。線路跡を道路にする工事始まる。バス停また道路端に。
2014年。綺麗に出来上がりすっかり変わってしまった。左のバス車庫跡にも店が出来ている。


関市栄町三交差点付近から新関駅方向を見る。

2004年。新関駅に停車中の電車が見える。 2005年
2007年。バラストの錆色が薄くなってレールも結構光って見える。 2009年。レールなくなる。
2009年。交差点に近い所はアスファルトが崩れてこないように片側だけレールが残してある。 2010年。線路撤去されて歩道になった。
2010年。交差点を西から見る。軌道跡を使って交差点部分の車線を増やしている。 2014年。完全に消滅した。
2016年。栄町三丁目交差点から新関駅に向かって専用軌道に入って
行った所にレンタカー店が出来てこれで小屋名ー新関間完全消滅。
2016年。反対側から交差点方向を見る。軌道のあった所はまだ舗装
が新しい。


新関駅

2004年。ここで終点の電車が多かった。 2005年。
2006年。ホームや線路上に撤去した架線柱などの残骸が。 2007年。駅の窓口やトイレはふさがれている。
2008年。踏切跡の線路が撤去された。これで間違えて停まる車は無くなる。 2009年。ここもレールなくなる。
2011年。電柱無くなる。 2012年。左のホームの屋根が無くなっている。
2015年。きれいさっぱりなくなった。まだ重機が置いてあるから工事が
終わったばかりのようだ。
2015年。踏切の西側。廃止になったあとも駅舎がタクシーの運転手さんの溜り場というか休憩所見たいになっていたがなくなってしまったので代わりにこちら側の線路跡に営業所が出来ている。線路跡が道路以外に転用されたのはここが初めて。奥の方は専用軌道から併用軌道に変わる栄町三丁目交差点手前まで整地されていて駐車場になるようだ。
2015年。全体を見る。軌道跡や駅舎だけでなく駅前広場、バス回転場、線路際にあった民家、岐阜バスの待合室等の建物やバス停など全てなくなった。
2015年。東側から見る。
2015年。駅西の線路跡を西から見る。奥、駅に近い方はタクシー営業
所の隣に少し車が停められているがそれより手前はまだ整地しただけ
の状態。
2016年。一軒建物を建設中。その向こうタクシー営業所までの間は駐
車場。
2016年。西から見る。
2016年。東から見る。手前の川に鉄橋の橋台が残っているので線路のあった位置が判る。こちらは奥のバス回転場のあった所にも住宅が
建っている。
2017年。駅の少し手前。建物と駐車場、植え込みが出来てこの部分埋
まる。
2019年。奥に黒い家が建ち、バス停と回転場跡はすっかり埋まっている。


新関駅正面

2004年。駅舎にはタクシー乗場も同居している。右の建物は旅行社とバスの待合所。手前から入ってきたバスは右折して転回場でUターンし待合所の前で客の乗降を済ませると再びこの道を手前に出て行く。 2005年。駅名の看板が外されているほかはあまり変わりない様子。相変わらず、路線バスは通りからひとつ奥へ入ったここまで乗り入れているし、名古屋からの高速バスも発着しているのでその乗継客目的のタクシーも以前どおり並んでいる。
2007年。駅舎越しの架線柱が見えなくなったくらい。 2009年。駅前のバス乗場は駅前でなくなったので何年か前に名前が変わっていた。名古屋からの高速バスで「栄」から乗って「栄町一丁目」で降りる、てな事に。
2015年。あとかたもない。 2015年。廃止後もわざわざ通りから駅前まで入りこんでいたがバス停や待合室なども全て撤去されたので替わりのバス停が通りに作られた。
2016年。線路やバス、タクシー乗り場ののあった所に住宅が立ち並び
始めている。道路は向こう側まで延ばされるか。
2017年。突当りにも住宅建つ。
2017年。バス停と待合所や回転場のあった所も住宅で埋まろうとしている。
2019年。住宅ですっかり埋まった。装飾型の街灯だけが駅前商店街の名残り。


新関・関駅間踏切

2004年。関駅へ乗り入れる為にわざわざ作った踏切。 2005年。きれいさっぱりなくなった。
2013年。ひとつ新関寄りの小さい踏切跡。各務原線接続部以外で唯一レールが残っている。 2014年。いつの間にか街路樹が植えられている。
2015年。新関駅跡東に唯一残っていた踏切跡のレールも撤去されてい
る。


関駅

2004年。終点の関駅。新関駅から美濃駅までが廃止になったときに長良川鉄道と接続させる為にわざわざ線路を延ばして作った駅。 2005年。早々と廃止に。左のフェンス越しの線路が長良川鉄道。
2009年。ここも段々草が…。 2014年。隣の長良川鉄道の駅には側線を撤去して新しく西口を建設中。
2017年。西口と駐輪場できて自転車並ぶ。奥の屋根付き通路を左へ
行った所にバスターミナルが出来ている。
2017年。関シティターミナル。ポールは名古屋への高速バス、周辺への
一般路線バス、コミニティバス用の3本。
2017年。待合所とトイレ。 2019年。新しいのが出来ているので右側にあった駐輪場が無くなっている。虎柵も「安全第一」が取れてなくなっているものがあり段々崩壊していく。


ついでに他のページもどうぞ

アレコレコレクション 鉄道系 名鉄美濃町線廃止まえ・あと 名鉄揖斐線廃止まえ・あと 白鳥線・臨港線・西名古屋港線
名鉄蒲郡線 名鉄広見線 少し昔の列車
桃花台新交通(ピーチライナー) 名鉄犬山モノレール線廃止まえ・あと 名鉄瀬戸線土居下仮駅
三岐鉄道北勢線 近鉄内部・八王子線 国鉄瀬戸線・TKJ城北線
コンナキップ JR東海道線金山駅二面三線化 名古屋地下鉄駅名変更集
その他系 名古屋近辺工事見物 名古屋南西部あそこの少し昔と今 公園のトイレ
愛知万博の乗り物 愛知万博のコンビニ 街で見かけたモリゾー・キッコロ
コンナモノ コンナガゾウ 東京ゲートブリッジ見物
当日券で東京スカイツリー見物 地図書き込みウオーキング 一周ウオーキング沿線ウオーキング
名古屋近辺花見物 コンナトコ 鳥取・島根江島大橋見物
大阪・なみはや大橋見物