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アレコレコレクション>白鳥線(臨港線支線)表紙>白鳥線?地図白鳥線廃止前と後の写真廃止後の白鳥線臨港線廃止まえ・あと少し西名古屋港線

臨港線廃止まえ・あと

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臨港線の名古屋(山王信号場)ー名古屋港間が開通したのは1911(明治44)年。1928(昭和3)年には堀川口まで延びた。東海道線の支線だが山王ー名古屋間が元々中央線の単線と臨港線の単線が並行していたのを中央線の複線化用に転用されたため山王では中央線から分岐する形になっている。

開業当初走っていた旅客列車は市電が築港(名古屋港)まで開通したことなどもあって(大正4)年には廃止された。その後、第二次大戦中の1942(昭和17)年から1944(昭和19)年の間にも旅客輸送を行っていたようだ。1960年代前半までは朝、名古屋港に向かう便と、夕方、稲沢へ向かう便の最後尾に客車一両を連結しており、職員の輸送を行っていたと思われる。白鳥線より後までSLが残り、D51が1970年まで走っていた。他の列車はDD13が引いていたがこのD51の列車一往復のみDD51に替わり、後に全便DE10に替わった。

この頃は山王信号場ー八幡信号場間では白鳥線の列車も加わり、結構運転本数があった。貨物輸送終了後は名古屋港駅の資材センターへのレール搬出入列車だけとなりそれも2024年4月には終了して線路自体が廃止されることになった。


(古い年代の事柄については「名古屋港史(名古屋港管理組合)」等を参考にさせて頂きました。)

1969(昭和44)年、山王信号場付近を行くD51牽引の臨港線貨物列車。後方に見えているのは中日球場の照明塔でここは一時期、「ナゴヤ球場正門前」駅があった所。右はDD13牽引の白鳥行きの列車が信号場で中央線から臨港線に入ってきたところ。


因みに、西臨港線(→西名古屋港線)には西名古屋港駅、臨港線には名古屋港駅、とくれば東臨港線には東名古屋港駅といきたくなるがJR笠寺駅から出ている名古屋臨海鉄道がこれにあたる。名古屋港へ入る貨物線はこの3本がセットになっていたがこの線だけ国鉄ではなく第3セクターで開業した。




2024年07月上旬時点


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名古屋~山王信号場

2011年12月10日。山王信号場で中央線に合流する。中央線の電車が通過中で信号待ち。名鉄山王駅から見る。

2011年09月24日。元々は単線の中央線と臨港線が名古屋駅まで平行して走っていた所を中央線複線化用に転用された為、東海道線の支線なのに中央線につながる形になった。ミッドランドスクエア展望台から見る。

2011年12月10日。中央線に入り名古屋駅へ向かう。

2011年12月10日。名鉄や東海道線と並んで走る。

2023年12月17日。山王信号場の中央線上り場内信号機。

2023年12月21日。山王信号場。右へ臨港線が分かれていく。

2023年12月21日。中央線下りの場内信号機。ここの表示は「臨港」ではなく「名港」。

2023年12月17日。名古屋駅第二場内信号機の表示。左上に「臨2場」の表示。

2011年09月24日。ささしまライブ東を長い新幹線や貨物に挟まれて走る。

2011年09月24日。名古屋駅へ入って行く。

2011年12月10日。単機で9番線を通過し名古屋港へ向かう。

2011年09月24日。名古屋駅で機関車を離されて自力で帰って行く。

 

 

  

甲東出(こうひがしで)架道橋   

2011年03月24日。山王信号場で中央線から分岐して最初の架道橋。

2011年03月24日。制限高さ1.9m。昔、追跡する警察の車が車高の低い犯人の車に逃げられる場面のドラマの撮影が行われたりした。これだけの身長がなくても通る時にはつい頭を屈めてしまう。

  

2023年10月07日。分岐したばかりなので中央線も同じ高さの鉄橋。

2023年10月07日。東から見る。名鉄は幅が広いが奥の東海道線は臨港線と同じくらいの幅のンクリートトンネル。

 

 

  

新幹線向町(むかいちょう)架道橋   

2012年01月26日。架道橋の向こうを臨港線が通る。次の第3八島BVと同じ塗装がしてあるのでここもナゴヤ球場正門前駅のあった時は出入口に使われていたか。

2004年07月1日。ちょうど向町BVの辺りを通る、まだチキで運んでいた頃の列車。新幹線と平行している山王信号場ー野立踏切間には将来新しく道路を造るのに備えて何箇所か臨港線には踏切や架道橋が無いのに新幹線の方には架道橋が作られているところがある。もし南方貨物線が開通していれば臨港線は十一番町で南方貨物線につながって八幡信号場ー十一番町間は廃止され更に白鳥線と共に八幡信号場ー山王信号場も廃止になっていただろうからそうなっていればこの架道橋も役に立っていた事だろう

  

2024年01月02日。東から線路越しに見る。西へ行くと露橋
公園と露橋小学校の間の道。

 

 

     

八島(やしま)踏切・新幹線第3八島架道橋 

2010年12月6日。昔、ナゴヤ球場正門前駅があった所。東海道線に尾頭橋駅が出来て廃止になり尾頭橋駅からナゴヤ球場への行き来のために作られた踏切。今は2軍戦くらいしかやってないのであまり人通りはない。ナゴヤ球場がある辺りの昔の住所が八島町。

2012年1月26日。新幹線BV側から見る。ここも踏切が出来るよりも以前、ナゴヤ球場正門前駅の入口が出来るまでは使われない架道橋だった。

2011年02月10日。踏切通過中。

 

 

  

2024年04月06日。今のところまだ信号機は点灯している。
踏切も残っている。

2024年05月19日。遮断棒がなくなり警報機はまだ
残っている。

  

2024年05月19日。

2024年07月07日。線路上に柵が立ち廃止を強調。
東から。

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2024年07月07日。西から。

2024年07月07日。残されている警報機が何故か虎柄の
黄色の部分に黒テープを巻いて黒一色にされ上の×点
マークが撤去されている。

<   

2024年07月07日。西側の東向きのは点滅ランプも
一段撤去されている。

2024年07月07日。ランプ部は黒テープでぐるぐる巻きに。
築堤の撤去工事とかが始まったらそれ用の何かがここを
通る時にでも鳴らかすのか?

  

2024年08月18日。警報灯が無くなって骨だけになり
警報音のスピーカーは残っている。何のため?

八島(やしま)踏切・新幹線第3八島架道橋

 

 

  

新幹線第2八島(やしま)架道橋   

2010年12月06日。ナゴヤ球場の真東にある、使われていない架道橋。奥に見えている柱は内野3塁側のネット用のもの。

2011年02月10日。BV辺りを通過中。

 

 

  

八島(やしま)架道橋・新幹線八島架道橋   

2004年02月12日。ナゴヤ球場の少し南にある架道橋。単機で通過中。

2010年12月06日。新幹線側から見る。八島踏切から登り始めてこの架道橋の高さ制限2.3m。

  

2024年01月02日。ここはコンクリート橋。

2024年01月02日。架道橋の南東脇にお地蔵さん。

 

 

     

津島街道(つしまかいどう)架道橋・新幹線津島街道架道橋   

2004年08月12日。津島(佐屋)街道を跨ぐ鉄橋。昔、市電の下之一色線も通っていた左(南)側の方が少し広い。この頃はまだチキで運んでいた。

2010年12月06日。新幹線側から見る。高さ制限4.0m。新幹線のほうが少し高くこちらからは通過する車輪が見えるくらいの隙間がある。

2010年12月06日。八幡信号場が近いので少し南に信号機が立つ。

 

 

  

新幹線第2八熊(やぐま)架道橋   

2010年12月06日。津島街道少し南の架道橋。臨港線の築堤も同じくらいの高さになってすっかり土で埋まったようになっている。南方貨物線が出来てこの区間の臨港線が廃止になったら道路を開通させようと作ったものと思われる。

2010年12月06日。反対側からは全く分からない。津島街道から八幡信号場の少し南までは防音壁が臨港線手前に立てられているので機関車の屋根くらいしか見えない。

 

 

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新幹線八熊(やぐま)架道橋   

2010年12月06日。さらに少し南にも同じような架道橋。

2010年12月06日。この津島街道ー八幡信号場間の東線路沿いは元々国鉄の用地だったがJR化後徐々に売却されていった。

 

 

  

大池(おおいけ)架道橋・新幹線大池架道橋   

2004年07月01日。八幡信号場すぐ北にある鉄橋。高さ制限4.4m。ここは高さより幅で大型が通れない。

2010年12月06日。新幹線側から見る。新幹線側の半分くらいの幅しかない。

 

 

  

八幡(やはた)信号場   

2004年04月15日。ここで一旦停止する。防音壁の扉が開いていて隙間から停まっている機関車が見える。信号場詰所と右の小さいのは便所と思われる。

2011年02月24日。大池架道橋脇から見る。信号所建物とこの先白鳥線が分岐していた分、築堤が膨れている。

  

2023年12月03日。信号場を出て名古屋方向へ少し行った
ところにある標識。

 

 

  

2024年04月06日。今のところ、上下両方向とも場内
信号機は点灯している。

2024年04月06日。

  

2024年05月19日。信号消灯している。逆方向も同様。

八幡(やはた)信号場

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八幡(やはた)架道橋・新幹線八幡架道橋   

2010年12月06日。八熊通ー県道名古屋弥冨線ーに架かる鉄橋。高さ制限4.3m。防音壁が立っているので機関車の頭しか見えない。

2010年12月06日。鉄橋は臨港線と、八幡信号場で分岐した旧白鳥線の2線分架かっている。従って東(右)寄りの白鳥線の方は今は使われていない。

 

 

  

甲海道畔(こうかいどうぐろ)架道橋・新幹線甲海道畔架道橋   

2023年12月03日。唯一の馬蹄型トンネルで制限高さ2.0m。このトンネルができた頃の道路幅で作られているので狭く普通自動車が一杯一杯。旧白鳥線がカーブし始める地点にあり線路が臨港線から離れていく分、複線幅よりは長めのトンネルになっている。左奥に見えるビルの手前まで白鳥線の築堤が残っている。見ての通り高い新幹線の防音壁が立っているので列車は見えない。

  

2009年05月04日。新幹線の箱型と臨港線の馬蹄型がぴったり
くっついている。

 

 

        

丙海道畔(へいかいどうぐろ)架道橋・新幹線丙海道畔架道橋   

2010年12月06日。旧白鳥線が分かれていって最初の鉄橋。

2010年12月06日。高さ制限2.9m。幅制限も付いていて2.1m。

2011年03月08日。架道橋を渡って八幡信号場方向へ向かう列車。築堤が旧白鳥線分岐地点で横へ広がっているのが見える。

2012年02月04日。南方向は土盛り土手。

1982年。甲海道畔の次が丙海道畔で「乙」はないのかとなるが多分これが乙海道畔架道橋。白鳥線のコンクリート架道橋でくぐった少し先に臨港線の丙海道畔架道橋がある。

 

 

     

牛立(うしたて)架道橋・新幹線牛立架道橋   

2010年12月06日。高さ制限3.1m。幅も広く車も割とよく通るので保護バーが取り付けてある。鉄橋脇に黄、青2灯式の信号機が立つ。

2010年12月06日。新幹線側から見る。津島街道と県道名古屋弥冨線を越えるべく築堤になっていたがこの辺りから少しずつ地平に下りてくる。

2011年06月24日。鉄橋上を通過中。築堤をカットしてコンクリート壁にしてあるが築年が新幹線高架橋と同じになっており道路を広げるためにこの形になったものと思われる。

2023年11月04日。コンクリート壁は切戸踏切まで続く。

 

 

  

新幹線野立(のだて)架道橋   

2010年12月06日。ここも臨港線には踏切が無い。勾配を下って大分と低くなってきているので新幹線高架橋の下に隙間が見える。

2010年12月06日。新幹線側から見る。臨港線が無ければ道路が抜ける。

 

 

        

切戸(きれと)踏切・新幹線切戸架道橋   

2010年12月06日。地平に下りきる少し手前にあり跨ぐも潜るも中途半端な高さで結局両側の道路を盛り上げて踏切にしたという形。

2023年11月11日。少し遠くから見ると盛り上がり具合が判り易い。

2011年07月28日。地平の野立踏切からこちらに向って登り勾配になる。草を掻き分け、煙を吐きながらやってくる。毎年秋口になると草刈りが行われる。

2011年09月08日。新幹線側、西から見る。

2023年10月03日。東から見る。

 

 

  

2024年04月06日。遮断機、警報機撤去され遮断機の
根っこだけ残る。

2024年04月06日。線路があり、踏切の交通標識は立ち、
「廃止…」の案内看板もないので車は一旦停車し続けている。

  

2024年07月07日。柵が立つ。

2024年07月07日。看板。

  

2024年09月25日。踏切板撤去されアスファルトで埋められる。

2024年09月25日。撤去した踏切板は横の線路わきに。

切戸(きれと)踏切・新幹線切戸架道橋

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新幹線第2乙三味越(だいにおつさんまえこし)架道橋   

2010年12月06日。切戸踏切と野立踏切の間にある使われていない架道橋。奥突き当たりは公園。

2011年12月08日。新幹線側から見る。

 

 

     

野立踏切・新幹線名港線乗越(めいこうせんのりこし)線路橋   

2011年01月22日。緩いS字カーブで新幹線下の踏切を通り抜ける。何も無ければわざわざカーブする必要もないので新幹線が出来る前は直線だった事だろう。

2011年4月5日。踏切通過中をシルエット風。ここを過ぎれば新幹線は離れていく。

2011年03月26日。ちょうど新幹線が通った。

2018年07月01日。今日は運行のない日。軌陸車で保線工事。

 

 

  

2024年04月06日。ここも遮断機、警報機が撤去されている。

2024年04月06日。遮断機が折られたような残り方。

  

2024年07月07日。警報機等は土台だけになり柵で
仕切られる。

2024年07月07日。塞がれた。

  

2024年07月07日。車歩道境界にガードレールが置かれ
線路上にも車線が引かれたので道路の連続感が出来て、
線路は残っているが停まる車は殆どなくなった。

野立踏切・新幹線名港線乗越(めいこうせんのりこし)線路橋

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蜆橋(しじみばし)踏切

2011年04月12日。名古屋港からの列車が踏切に接近して来る。野立踏切から蜆橋踏切までは地平を走るが両側に沿って建物があったりして列車が見える所はあまりない。

2011年07月21日。昔事故でもあったか踏切脇に地蔵小屋。

2011年07月21日。かまぼこ型踏切。踏切の西側、そしてさらに西へ1キロ弱行った所の、中川運河沿いで大型の通行の多い蜆橋の交差点にも同じ看板が立つ。

2011年10月06日。西から見る。盛り上がっていると言えば盛り上がっている。

 

 

  

2024年04月06日。遮断機、警報機撤去済み。

2024年04月06日。

  

2024年07月07日。柵。

2024年07月07日。名古屋駅方向。

  

2024年07月07日。名古屋港駅方向。

2024年09月25日。隙間がアスファルトで埋められ
中央車線が引かれている。

蜆橋(しじみばし)踏切

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中乾乙第二(なかいぬいおつだいに)架道橋   

2010年12月06日。蜆橋踏切を過ぎると国道一号線を跨ぐべく再び上り坂になりここは制限高2.2m。東から見る。左(南)線路向こうの建物は八幡中学校でその北沿いの道になる。

2011年06月09日。西側から見る。機関車の大きさと較べると低さが判る。

2011年10月13日。線路東側北から見る。

 

 

  

八剣(はっけん)架道橋   

2010年12月06日。東から見る。右(北)線路向こうは八幡中学校でその南沿いの道になる。学校の北端から南端までで1m上がって制限高さ3.2m。

2010年12月06日。西から見る。

 

 

  

百曲(ひゃくまがり)架道橋   

2010年12月06日。制限高さ3.6m。昔の百曲街道を跨ぐ。

2011年10月20日。西から見る。これより西は道が細くなっていき大型車の来る可能性が少ないからかこちら側は保護バーが無い。

 

 

     

白鳥(しらとり)架道橋   

2004年08月31日。国道一号線を鉄橋で渡る列車を東から見る。制限高さ4.3m。

2010年12月06日。西から見る。細い鉄製の橋脚が三か所立つ。

2010年12月06日。えらくか細い橋脚。下から見る。

2011年09月22日。単機通過中。

 

 

  

丙四十三号(へいよんじゅうさんごう)架道橋   

2010年12月06日。東から見る。国道一号線を過ぎて再び地平に下りていく。制限高さ4.0m。ぶつけられたか、バーが少し曲っている。

2011年09月29日。西から見る。こちらのバーは目出度い紅白塗り。

 

 

     

南乾第一(みなみいぬいだいいち)架道橋   

2010年12月06日。東から見る。制限高さ2.7m。ぶつけられたのか、錆びたのか、バーが補強されている。

2010年12月06日。西から見る。

2012年01月21日。名古屋に向かって通過中。

 

 

     

南乾第二(みなみいぬいだいに)架道橋   

2010年12月06日。東から見る。制限高さ2.4mの標識がバーで見えないのは拙くないか。

2010年12月06日。西から見る。

2011年09月16日。鉄橋上を頭と骨だけになった魚のようなのが通過中。

 

 

     

南乾第三(みなみいぬいだいさん)架道橋   

2010年12月06日。東から見る。さらに低くなって制限高さ2.0m。

2010年12月06日。西から見る。近くには大型車の出入りする工場もあるのにこの高さは厳しい。

2011年09月16日。南からは上り坂になる鉄橋付近通過中。奥に見えるのは九番団地のビル。蜆橋踏切から続いていた線路西沿いの道路がここで途切れる。

 

 

     

南耕運河(なんこううんが)橋梁   

2010年12月06日。東から見る。1982(昭和57)年までは南郊運河(鉄橋名は何故か南耕)が流れていた。今はペラペラの鉄橋の下を歩行者用通路が通る。別に何も落ちてこないと思うが一応鉄橋下に屋根が作ってある。

2011年11月10日。北西から見る。鉄橋の東西、運河を埋めた跡は南郊公園になっている。線路の向こうに見える建物は九番団地。

2004年09月04日。南から見る。運河跡の公園と九番団地の間に南方貨物線の高架橋がまだ残っている。現在は道路上部分は撤去されている。

2011年01月22日。貨物線高架橋辺りから見る。鉄橋上を通過中。蜆橋踏切から続いていた線路東沿いの道路がこの公園で途切れるが歩行者用通路は公園南の道路につながっている。

 

 

     

三番通り(さんばんどおり)踏切   

2011年10月29日。東から見る。築堤から殆ど平地に下りて来た所にある。踏切奥(西)右側のかつて南方貨物線へつなぐ高架橋が作られていたところに今はスーパーやホームセンターがあり割と交通量が多い。

2010年12月06日。西から見る。線路東側には九番団地と小学校がある。

2010年12月06日。踏切から北を見る。左建物の辺りまで南方貨物線から枝分かれした高架橋が出来ていた。南方貨物線が実現していたらそのまま新東海道踏切(東海通)を越えるところまで高架橋が作られただろう。南方貨物線が当時の目標通り1982(昭和57)年度に開通していれば、ここから八幡信号場までの臨港線は廃止にする予定になっていた。

2011年09月17日。少し両側の道路が盛り上がっている踏切を通過中。

 

 

  

2024年04月06日。警報機、遮断機撤去済み。

2024年04月06日。

  

2024年07月07日。西から。フェンス立つ。

2024年07月07日。東から。

  

2024年07月07日。北側。警報機等はコンクリートの
土台だけになる。

2024年09月25日。車歩道境界にガードレール。

三番通り(さんばんどおり)踏切

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新東海道(しんとうかいどう)踏切   

2010年12月06日。東から見る。4車線あり臨港線では一番大きい踏切。昔の東海道は熱田の宮から七里の渡しで桑名へ舟だったが明治になって新しく陸路で西へ行って木曽川に着いたら舟で桑名へ向かうルートが出来たので新東海道。

2010年12月06日。西から見る。週に3往復、6回しか鳴らない踏切でも規則だから皆律儀に一時停車する。かなりのエネルギーの無駄遣いをさせている感じがする。

2010年12月06日。踏切に立っているパノラマカー風イラストの注意看板と近くのバス停。

2011年12月18日。踏切から南、名古屋港方向を見る。

2011年10月08日。踏切通過中。一つ南の津金踏切から見る。

2017年07月15日。東から。

 

 

  

2024年04月06日。ここも遮断機、警報機撤去済み。
バス停名はまだ変わってない。

2024年04月06日。まだ線路があるがすっきりした感じ。

  

2024年04月06日。相変わらず殆どの車が一旦停止している。
看板くらい出せばいいのに…。

2024年04月06日。

  

2024年07月07日。柵が立ち交通標識も撤去された。

2024年07月07日。案内板は立ったが位置や大きさが
走っている車から見えるものではないので相変わらず
一旦停止する車が見た感じ半分くらいはある。

  

2024年07月07日。ほかの踏切は通るのが地元民の常連客が
多いので廃止が知れ渡ってきて素通りする車が増えてきたが
ここは幹線道路で一見さんも多いので線路があるのを見ると
どうしても止まってしまう。早いとこここだけでも線路を
撤去すべき。

2024年09月25日。車歩道境界と中央分離帯部に
ガードレール設置される。これに視線が向いて
横切る線路が目につかなくなり停まる車はほとんど
いなくなった。

新東海道(しんとうかいどう)踏切

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津金踏切   

2010年12月18日。

2010年12月18日。

2023年12月02日。狭いので頭しか見えない。

2011年10月08日。踏切を過ぎて名古屋港へ向かう。

 

 

  

2024年04月06日。東から。警報機、遮断機撤去。

2024年04月06日。西から。

  

2024年04月06日。これが残る。

2024年04月06日。踏切の南には線路にのってないように
見える重機軌陸車。

  

2024年04月20日。踏切の少し南から先、レールと枕木
撤去される。

2024年07月07日。柵が立つ。

  

2024年09月25日。線路が無くなり横幅だけ気を付ければ
よくなったので横幅制限柵が虎柄から黄色一色になった。

2024年09月25日。踏切板が撤去されアスファルトで
埋められた。

津金踏切

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みなとアクルス架道橋   

2017年06月17日。工場跡地の再開発で新しく作られる敷地内を東西に抜ける道路に架橋工事中。

2017年06月17日。線路には枕木の車止め。工事中半月ほど運休している。

2023年12月12日。折角作ったけど6年余りで用済みになる。あとは道路等の使い道があればいいが…。

 

 

  

2024年04月20日。橋梁上、バラストだけが残る。

みなとアクルス架道橋

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第一港北架道橋   

2023年12月05日。工場敷地内の行き来に使われていたと思われる。今のところは商業施設従業員が駐車場との行き来に使っている。東から見る。

2024年01月02日。反対側には名古屋港駅からの引き込み線跡と思われる線路跡があり橋は撤去されている。

2023年12月07日。

 

 

  

2024年04月06日。線路等撤去工事が始まっている。

2024年04月06日。橋に作業員転落防止柵が取り付け
られている。

  

2024年05月18日。柵が撤去されている。工事区間のほかの
橋も同様で重機等も片付いているので撤去工事が行われる
のは用地が臨港線によって東西に分断されているみなと
アクルスの範囲のみか。

2024年07月07日。鉄橋を撤去する工事が始まる。今月中に
なくなりそうだ。

  

2024年07月28日。土手の草は刈られたが気が変わったのか
工事看板が無くなっている。

第一港北架道橋

240818追加箇所へ

 

 

     

第二港北架道橋

2023年12月05日。これも工場敷地内のものと思われる。名称や距離表示がないが南に「第三…」があるのでこの名前だろう。コンクリート製で、再開発されて近づけるようになった時に既に通行止め。線路向こうにホールがオープンすれば地下鉄駅からの最短コースとして使われるものと思われるがそれより廃止でこの土盛り高架自体がなくなるか。

2018年01月13日。反対側。引き込み線部もそのまま残り複線幅のまま。

2011年10月08日。名古屋港駅を出た列車がゆっくり通過。

 

 

  

太平(たいへい)橋りょう   

2011年09月10日。唯一水の上を渡る。運河といっても撮影地点より手前(東)は埋め立てられているので見えているこれだけの池のようなのが残っているだけ。鉄橋の少し奥(西)で中川運河につながっている。

2011年10月01日。反対側には東邦ガス工場への引き込み線の鉄橋も残っているが使われてないので保守整備もされず赤錆色。

  

2011年09月10日。東、使っている側。

2011年10月01日。西、使ってない側。

  

2023年12月19日。今日はこれが通った。

 

 

  

2024年04月20日。作業員転落防止用の柵が取り付けられている。

太へい橋りょう

 

 

     

第三港北(だいさんこうほく)架道橋   

2005年03月12日。東から見る。右にある歩行者用のトンネルはこの先に大型S.C.が出来た時に交通量が増えるのに備えて作られたもの。

2010年12月18日。西から見る。ここを過ぎればすぐ場内信号機があり名古屋港駅構内へと入って行く。

2011年12月15日。保護バーが派手な蛍光色に塗り替えられている。

 

 

     

名古屋港・資材センター

2010年12月18日。第三港北架道橋のすぐ南に4灯式の場内信号機が立つ。

2005年03月12日。南端から北を見る。奥に見える陸橋のさらに奥にたつ場内信号機からこの直上の陸橋の下までが駅。

2005年03月12日。駅の上を二つの陸橋が跨いでおりこれは北寄りの国道23号線(名四国道)中川高架橋。大型の通行が多いのでしっかり防音壁に囲まれている。

2010年12月18日。臨港線南端を跨ぐ中川陸橋。真下に終点の車止めがある。

  

2010年02月07日。中川陸橋から見る全景。左柵の向こう、アスファルト舗装してあるところは地下鉄車庫の敷地。

           

2005年03月12日。到着。この後、左へ押し込んで積み下ろし等をする。それが終わると中川高架橋向こうの出発信号機手前で出発待ちをする。

2010年02月07日。左画像のチキの頃に較べると柵の中の線路が減っている。

2010年12月18日。出発信号機。こちらから山王方向へ向かうのが下り。

2010年12月18日。出発待ち。中川高架橋防音壁のアクリル板越しなので少し白ぼけた写真になる。

2010年12月18日。アップする。レールが積まれている。

2023年12月09日。国道23号線緩衝緑地帯から見る。

2023年12月19日。今日はこれ。着いて30分かそこら居ただけで折り返していく。

 

 

  

2024年04月06日。生気が無くなった感。

2024年04月06日。既に線路撤去始めていてこれが取り
残されてしまうが廃車か?

  

2024年04月06日。出発信号機付近で撤去工事中。

2024年04月06日。

  

2024年04月06日。出発信号機は消灯している。

  

2024年09月25日。資材センター構内の線路が撤去され小さい機関車もいなくなった。駅部は草ぼうぼうに。

 

 

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